萬古焼とは
萬古焼の歴史
桑名の豪商沼波弄山(ぬなみろうざん1718-1777)が元文年間(1736~1740)に三重郡小向村(現在の三重郡朝日町)に窯を築き創始されました。 弄山が作品がいつまでも残るようにとの願いを込め、自身の作品に「萬古」または「萬古不易」の印を捺したのが名前の由来です。(弄山の時代の作品は現代では古萬古と呼ばれます) 弄山の没後、一時期途絶えましたが、天保年間(1830-1843)に森有節(森与左衛門)らによって窯が再興。茶器や酒器などが焼かれ「有節萬古」と称されました。 明治時代には山中忠左衛門らによって四日市(末永村)にて窯が開かれ、洋皿やコーヒーカップなどの洋食器の研究や地域住民への製作指導が行われるようになりました。 特に大正元年に水谷寅次郎が半磁器を完成したことが画期的な効果を生み、機械化がはかられ海外に輸出されるようになりました。市内陶栄町には萬古神社が築かれ、森や山中の記念碑が建てられています。また5月第2週の土日には「萬古祭り」が開かれ、様々な陶器が売られています。
四日市萬古焼
陶磁器、焼き物のひとつで耐熱性に優れた特徴を持ち、陶器と磁器の間の性質を持つ半磁器(炻器~せっき)に分類されます。三重県四日市市の代表的な地場産業であり、1979年1月12日から伝統工芸品に指定されています。その耐熱性の特長を生かした「紫泥の急須」や「土鍋」が有名であり、特に国産土鍋の国内シェアは8~9割を占めるといわれています。また、豚をかたどった「蚊遣り豚」でも有名です。三重県は全国3位のお茶の産地ということもあり、萬古急須は使われる土の性質と急須自体のつくりがお茶の味わいを高めるように作られているので、伊勢茶とともに好評を博しています。
萬古神社
昭和10年の創設。現在の萬古焼の礎を築いたといわれている山中忠左衛門の碑などがあり、毎年「萬古祭り」や「土鍋供養祭」が行われています。 萬古祭りは毎年5月の第2土日曜日に開かれる陶器市です。
萬古焼の普及と宣伝のために昭和38年から始められた祭りで、萬古神社周辺の沿道に萬古焼の製品が山と積まれた露店が並び、期間中はおよそ15万人もの人が集まるそうです。